「リューマチ熱」にて・・・
症状としては全身の浮腫と高熱であったという。
ウィーン市の公式記録では「急性粟粒疹熱」とされる。
実際の死因は「リューマチ熱」(リューマチ性炎症熱)であったと考えられている。
また、医者が死の直前に行った瀉血が症状を悪化させたとも言われる。
実際の死因が「リューマチ熱」(リューマチ性炎症熱)であったと述べたが、これに関しては幼少期の度重なる旅行が原因であったとする説も存在している。
実際に旅行先で病に伏すことが少なくなかったことが手紙や記録に残されている。
これは当時の医療技術が未熟であったがために幼児の死亡率が高かったことと、道路の舗装が不完全であったがために馬車の振動が健康を脅かしていったことが背景にある。
そして、このとき罹患したリューマチに終生悩まされることとなる。
このリューマチを持病としたために彼の体格は小柄になり、さらには直接の死因にまでなってしまったとも考えられた。